みことばの種

17/6 静まって待つ

 

 

詩篇131:1-2

「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。」

 

私は、女性が人前で堂々と赤ちゃんに授乳する国に住んでいたことがあります。赤ちゃんのいる女性のために前列2列が取ってあるアフリカの教会でメッセージしていたとき、一人の赤ん坊が泣き始め、私の目の前で母親が赤ちゃんに授乳し始めました。そして、今お読みした聖句でこの詩篇の作者はもはやその乳飲み子のようではないと言ったことが、私にとってとても現実的となりました。作者はすぐに泣いて神に何かを要求するのではありません。彼は乳離れしています。乳離れしている子どもと、していない子どもの違いは何でしょうか。基本的に、乳離れしていない子供は、泣いて母親から即座に何かをしてもらうことを期待しますが、乳離れしている子どもは、母親が食事を与えてくれることをよく知っており、食卓の上に食べ物が用意されるまで待ちます。そして、それが神との関係であるべきで、私たちが自分の状況や問題でいつも煩わせるのではなく、神を信じ、時にかなったふさわしいものが食卓の上に置かれるまで、神を待ち望むべきです。私は、自分自身の経験によってそれを学びました。私は、自分の叫びで神を煩わせないときにこそ、さらに多くのものを神からいただいています。そして、神の時に私のために用意してくださっている啓示を受け入れます。