みことばの種

12/7 どんなときも主を賛美

 

 

詩篇57:7-8

「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。」

 

どんなことが起ころうと、主をほめ歌うと心に決めている人の姿です。賛美がただ私たちの感情や状況だけから起こって来てはならないということを理解することが重要です。賛美は私たちの深く確固とした意志、決心から起こって来るべきです。私の心は揺るがない、何が起こっても私は神をほめ歌うのだと。

そして、詩篇の作者は、「私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目を覚ませ。」 と言っています。「私のたましいよ」 という部分は、英語では、「私の誉れよ」となっていますが、誉れとはどういう意味でしょうか。幸いにも、聖書はそれをよくわからないままにはしていません。ペンテコステの日にエルサレムで使徒ペテロは、この詩篇の箇所を引用しましたが、「ほまれ」を「舌」に変えて、こう言っています。「私の舌は大いに喜んだ。」 それは、私たちの舌は私たちの誉れであるという素晴らしい奥義を教えてくれています。なぜでしょうか。なぜ神は私たちに舌を与えたのでしょうか。あなたはその本当の理由を知っていますか。第一の理由は、その舌で神をほめ歌うためで、私たちが神の栄光をほめたたえるときにのみ、舌は正しい使われ方をしているのです。私たちの舌は、私たちの誉れです。というのは、他のからだの器官すべての上で、私たちが造られた目的である、神をほめたたえるためにその舌を用いることができるからです。