みことばの種

22/6 戒めを憎まない

 

箴言5:11-14

「そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。そのとき、あなたは言おう。『ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。私は、集会、会衆のただ中で、ほとんど最悪の状態であった』と。」

これは、長年義の道を知っている人、教会に定期的に通っている人のことばです。説教者が正しいことを言ったときに「アーメン」と言うことを知っている人、讃美歌をたくさん覚えている人、集会において人前で祈りをしている人かもしれません。しかし、その人は自分が学んできた真理に従う心を捧げたことが一度もないのです。

そして、この詩篇の作者は、自分の人生の終わりに、頭ではわかっていたけれども、心でそれを信じて従うことをしなかった、すべてを逃し、もう手遅れだと気づいている様子が描かれています。イエスが偽善者について語ったとき、特別な言葉が使われていることは注目に値します。イエスは、偽善者の終わりは、「泣き叫んだり、歯ぎしりしたりする。」と言われました。私は、なぜ偽善者について特にその言葉を使っているのかと疑問に思い、おそらく、偽善者たちは何でも知っている、ずっと知っていた、しかし、決してそれに従わなかったからだと思います。

そして、人生の終わりに滅びのただ中で自分が拒絶されていると気づく特定の皮肉があります。長い年月、教会に座り、正しいことを知っており、表面的には同意を表わしていたけれども、その心は決して変わることがありません。本当の明け渡し、献身、イエスを人生の真の主とすることが決してないからです。