みことばの種

08/2 砕かれた霊

 

 

詩篇51:16-17

「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」

 

詩篇の作者ダビデはここで私たちに何を語っているのでしょうか。確かに、彼は神が外側のものには興味がないことを第一に教えています。いけにえや捧げものを神がほしくないというのではなく、それらは、第一に神が願われているのではなく、それらの宗教的行ないが私たちの人生においてすべてであるなら、神はまったく喜ばれないということです。神は表面上のものをさげすみ、私たちの心、動機、態度に目を留めます。

また、「神へのいけにえは砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」 と言っています。それは、奇妙に思える言葉です。神が砕かれた霊を望まれるとは、どういう意味でしょうか。神は私たちを失望させたいのでしょうか。それとも、打ち負かしたいのでしょうか。屈辱を味わわせたいのでしょうか。もちろん、そうではありません。砕かれた霊とはどういうことでしょうか。私は、霊自身の完全な終わりまで来るということであると思います。あらゆる自立心、頑固さ、自分本位などは取り除かれます。私たちは神にしか望みがないところまで来ます。自分にあるものすべてに終わりが来たところまでやって来ました。私たちは神へ主張することが何もなく、自分のとりえに頼るのではなく、神だけに頼り、ただ神のあわれみと誠実さを求めて神に立ち返りましょう。