みことばの種

03/2 種まきと刈り入れ

 

 

 

ガラテヤ6:7

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」

 

思い違いに対する警告です。私たちが人生で一つのものを蒔き、別のものを刈り取ることができると思い込む。神に見つからないで済み、自分の行いの結果に巻き込まれないで済むと思い込む。聖書は、そうではないと警告しています。神は侮られるようなお方ではありません。人は、自分が蒔いたものを刈り取ります。

これは、自然界でも同じです。みかんの種を植えて、リンゴが成ることは決してないことは誰でも知っています。トウモロコシの種を植えて、大麦が育つということも決してありません。私たちが蒔いたものが、芽を出すのです。

しかし、あまりにも多くの人が、この自然の法則が霊的なことにもそのまま当てはまることを認識していないのです。蒔いたものを刈り取るという同じ原則をもって、神は全宇宙を創られました。私たちが不親切を蒔くなら、不親切を刈り取ります。自己中心を蒔いたら、自己中心を刈り取ります。苦々しいことばを蒔いたら、苦々しいことばを刈り取るのです。

しかし、もし私たちが平和を蒔くなら、私たちは平和を刈り取ります。愛を蒔くなら、愛を刈り取ります。喜びを蒔くなら、喜びを刈り取ります。あなたは、人生に不満を抱いていますか。物事が進む方向に不満を抱いていますか。あなたが刈り取っているものは、あなたが蒔いたものであることを忘れないでください。あなたが違うものを刈り取りたいなら、違うものを蒔くことから始めなければなりません。神は決して侮られる方ではありません。人は自分のまいたものを刈り取るのです。